History of Lemurian Seed Crystal
レムリアンシードクリスタルの歴史
ブラジル、ミナスジェライス州の
カブラル山脈から届けられる稀有な水晶
レムリアンシードクリスタル
わたしにとってとてもスペシャルなこの水晶
追い求め続けてもう20年になります
その出逢いの歴史を
時をさかのぼってざっとおさらいしてみますね
まずは2000年
フランシスコ・ドゥモントの
ニューレムリアンマインと呼ばれる鉱山からから届けられた
不思議なクリスタルとの出逢い
ブラジル、サンパウロのサプライヤーさんが
初めて日本に紹介したその美しい水晶に魅了され
途端に引き込まれていきました
わたしとレムリアンの物語はここから始まります
2005年には
昔なじみのコリントのサプライヤーを通して届けられた
オリジナルマインと同じ鉱床の
ルチルクォーツのレムリアンシードクリスタル
そして大きなスフィア
ほんのちょっとだけスモーキーなその原石から磨かれた
美しいポリッシュポイントと
天使の梯子が架かる大きな珠は
今もBlancaで輝きを放っています
そしてBlancaがオープンした
2007年~2014年は
セラドカブラル(セーハドカブラル)の農場で見つかった
新しいレムリアンシードクリスタル
カリフォルニアの原石商
ショーンさんから届けられたその原石たちは
最初のレムリアンを想わせるような
チカラ強さと輝きにあふれていました
世界で初めてのレムリアンのブレスレットを作るべく
日本に届けられた200㎏超のレムリアンシードクリスタルから
素敵なめぐり逢いをたくさんいただきました
お師匠さんありがとう…愛と敬意をこめて
2012年には、フランスに渡り日本に還ってきた
フランシスコ・ドゥモントの
ニューレムリアンマインから産出した
オレンジ色に輝くタンジェリーナレムリアン
2013年は
同じくフランシスコ・ドゥモントの
ニューレムリアンマインの原石から磨かれた
美しいスフィアたちを
コリントの原石商カルロスから
すべてのレムリアン鉱山の操業が完全に終わり
サプライヤーたちのストックが乏しくなってきた2016年
おそらくこれが最後の出逢いになるだろうと覚悟を決め
たくさんのレムリアンを日本に連れて帰りました
翌年の2017年には
その想像の通り出逢うことは叶わず
そしてその終焉と入れ替わるように
バイア州の新しい水晶にレムリアンの名前が付けられた
そして2018年
そんな状況の中、Blancaに届けられたのは
カルロスが1年を費やし集めてくれた
ジョアキンフェリーシオ周辺で
パーソナルマイニングにより採掘された
レムリアンシードクリスタル
クリスタルへの愛にあふれ
これまで以上に美しく輝いていました
いつもありがとう
これからもよろしくね
そうそう…誰も持っていなかった間の2017年には
奇跡のような出逢いがありました
ジョアキンフェリーシオのレムリアン
それもファントムのドリームレムリアンを
あるブラジルのサプライヤーがなぜか持っていた
ツーソンショー初出店のそのサプライヤーは
本当に初々しく、片言の英語で
その水晶の採掘地を一生懸命に教えてくれました
すべての日程を費やし探し回った中で
ジアマンチーナ(ディアマンティナ)やゴイアス州
そして、新興のバイアクリスタルは見つかるものの
セラドカブラルのレムリアンは
彼が持つその1箱だけ
こんなにうれしいことはありませんでした
この20年、レムリアンを真っすぐに求め続けた
わたしへのギフトだと勝手に想っています
そう想えるくらいの奇跡でした
そして当然、2019年は出逢うことが出来ず2020年
現地のSNSのタイムラインで偶然見つけた
アウグスト・デ・リマ経由でコリントに持ち込まれた
パーソナルマイニングのスモーキーレムリアン
サンパウロのサプライヤーに辿ってもらい
何とか見つけることが出来た中の2キロ12点
それが1年半ぶり
今年最後の出逢いとなりました
そうやって探し求めている合間にも
イラギュラーな出逢いが時折ありはしますが
今年はそれも一年を通して5点ほど…
次の目処は立っていません
オフィシャル鉱山は10年前に閉山となり
同地、農場内の新しい鉱床では
もう長い間、採掘は行われていません
これまで緩やかだったパーソナルマイニングも
環境保全に向け
政府や州により採掘規制が強化されました
ニューレムリアンマインのマルコスのように
一攫千金の賭けに出て誰かが土地を取得するまで
正規にまとまった量が産出することは
もうほとんどないでしょう
2017年以上の奇跡でも起こらない限り
手にするのは不可能に近い状況です
今後、Blancaとレムリアンの出逢いが
どんな形で実現するかはまだ分かりませんが
正直、この20年を振り返ると
かなり厳しいものになると言わざるを得ません
それでもやっぱり探求の旅は続きます
そうやってこの20年追い求めてきましたからね
求め続ければ与えられる
そう信じて
tamaki
2000年紀、最後の10年に
わたしたちに届けられたレムリアンシードクリスタル
この水晶に続いて様々なニューエイジクリスタルが
世に紹介されるようになりました
クリスタルヒーラーが
特定のクリスタルや形状に名を付けることも
今では当たり前となりましたが
わたしが知る限り
ある水晶を指して名前が付けられたのは
このレムリアンが最初だったように記憶しています
まさにニューエイジクリスタルの夜明け
世紀末にふさわしいクリスタルの出現でした
ここから始まった
そう言っても過言ではないように想います
とはいえ、日本での知名度は低く
2017年にアメリカで流行が再燃するまで
ほとんどの方がご存じありませんでした
ですので、お店では頓珍漢な説明をすることも多かった
見た目は同じ水晶なのに遥かに高価
その違いをどうお答えしたら伝わるだろうと…
考えに考えた結果
「ほかの水晶と何が違うのですか?」との問いに
「同じです。。わたしたちが好きな水晶なんです」
そうお答えするようになっていました…つい最近までの話です
そのアメリカでのブーム再燃を受け
2019年には日本でも流行の兆しが初めて見え始め
2020年の今、それもピークに達している感があります
以前では考えられないことですが
「レムリアン」を探しにご来店くださるんです
それにより、ご質問への返答や
説明させていただく内容も徐々に変わりつつありますが
言葉でお伝えするのは流石に限界があります
誰が、なぜレムリアンシードクリスタルと名付たのか
なぜ、あの独特な雰囲気になったのか
それについては
わたしのクリスタルメッセージと合わせて
レムリアンのトップページに以前から記載していますが
鉱山の経緯には全く触れていませんでした
ということで今回、わたしたちが知りうる限りの
「レムリアンシードクリスタル」の歴史を
備忘録も含め、改めてご紹介させていただきます
レムリアンは素敵な出逢いを待っています
大切なめぐり合わせが皆さまの元に訪れますように
なるべく手短にご説明します
JiJiです
事の始まりは1940年代
ブラジル、ミナスジェライス州
セラドカブラルの尾根沿い
ジョアキンフェリーシオと
フランシスコ・ドゥモントのちょうど間
この土地の所有者から土地を借り受けたアメリカ人が
無線機に使われる水晶振動子の材料(石英)採取のため
大小2ヶ所の鉱山を開いたことから始まりました
彼の試みは成功し、財を築いたものの
第二次世界大戦の終戦とともに閉山
その土地はブラジル人家族の元に戻ることとなった
そこから時を経ること40年
1990年代初頭のこと
工業製品としての水晶とはまた別の需要の高まりに伴い
土地のオーナーであるブラジル人とその親戚たちは
アメリカ人が開いた2ヶ所の内
規模の大きい鉱山の操業を再開
採掘は順調に行われ、程なくして
その水晶の特徴的な美しさは
クリスタルヒーラーたちの目に留まることとなった
ニューエイジムーブメントの高まりもあり
うわさを聞きつけ現地を訪れたバイヤーたちは
こぞってアメリカのヒーラーたちにその水晶を送り
メタフィジカルとしての評価を求めた
その中に、クリスタルヒーリングの第一人者
カトリーナ・ラファエル女史もいたというわけです
20世紀も終わりを告げようとしていた
まさにその時
レムリアンシードクリスタルの名がつけられた
しかし、その水晶の人気に沸いた
最初のオフィシャル鉱山も
オーナー家族の内部分裂により閉山
それが2003年頃
その一方、その騒動の最中
チャンスと見取り、フランシスコ・ドゥモントに
土地を購入した鉱山労働者がいました
彼の名はマルコス
最初の鉱山からそれほど遠くない
カブラル山脈の尾根に沿ったその場所が
同じ鉱床を有していると考えた彼の目論見は大当たり
「ニューレムリアンマイン」の誕生
彼の鉱山事業はたちまち軌道に乗り
美しいタンジェリーナやファントムなど
2010年頃に閉山するまで
様々な素晴らしいレムリアンを世に送り出しました
このレムリアンにより大富豪になったと聞いています
わたしたちがよく知るレムリアンの鉱山は
このニューレムリアンマインです
そのニューレムリアンマインの開業と時を同じくして
別の新たな二つの鉱山が開かれています
ひとつは最初の鉱山オーナーの仲間が開き
そこでは素晴らしいルチルクォーツが産出しましたが
それほど長く続かなかった
もうひとつは、この流れとは何ら関係のない
まったくの偶然によってもたらされました
セラドカブラルにある農場の敷地内
とある農場経営者が牧場として購入したら
露出した鉱床があったという
なんとも贅沢なオマケつきだった
こちらもニューレムリアンマインと名付けられました
上にも書きましたが
レムリアンブレスレットが製作された際の原石は
この農場で産出したレムリアン
その原石の手配は
アメリカ人のサプライヤーを通してでしたが
今になって思えば
彼の兄は牛肉のサプライヤーとのことでしたから
もしかするとその流れで
石を扱いだしたのかもしれません
確か2006年のことです
2010年には
その新しいレムリアンも手配が難しくなった
主業に専念しているとの風の噂もあったので
最初の鉱床が枯渇した後に
新たな探索は行われなかったのではないでしょうか
さて、ここから先は
それぞれのページに記載している通り
地元の鉱山労働者によるパーソナルマイニングに移行
それを力のあるサプライヤーが
時間をかけて集め、ひとまとめにして
たまに市場に出す
という流れがこの数年続いているといった次第
ただ、それも今年まで
そもそも、レムリアンの鉱床であるカブラル山脈は
国や州の自然保護地区
鉱床の性質上、採掘にはウォーターブラストが使われ
それによる水質汚染と環境破壊の問題が
需要の高まりと共に顕在化してきていた
パーソナルマイニングが小さく行われている内は
それほどの問題にもならなかったものが…
まぁどこの国にも不届き物がいるということです
この夏、取り締まりが更に強化され
今後は小さな採掘も難しくなりそうなのだとか
ですので、tamakiさんも触れていましたが
この先の目処は一切立っていないのが現状です
まぁ…無理なく出逢いを待ちます
さて、短くといいつつもかなり長くなってしまいました
これでもだいぶ端折ったんですけどね
最後の最後に、触れたくないけど
触れなきゃいけないあのことを書いて終わりにします
皆さまの参考となれば幸いです
これまで書いたお話は
新たにレムリアンと呼ばれているバイア州の水晶
「ピュアレイ」や「シリウスレムリアン」とは
関連性はありません
あくまで、セラドカブラル(セーハドカブラル)の
「レムリアンシードクリスタル」と名付けられた
最初の水晶たちの物語です
すべてのブラジル、ミナスジェライス州
セラドカブラル産とされるレムリアンシードクリスタルの
出自を保証するものではなく
あくまでBlancaがこれまで出逢ってきた
レムリアンにまつわるお話です
2007年の写真は
レムリアンのブレスレットを製作した際
原料を用意してくれたサプライヤーが撮影したもので
元の鉱山所有者とは全く別のオーナーが
自身の農場敷地内に持つ「New Lemurian mine」
2002年の写真は
日本に最初のレムリアンが持ち込まれた頃に
サプライヤーからいただいた
元々の鉱山所有者とは別のブラジル人が
フランシスコ・ドゥモントに取得した土地で
採掘を始めた頃の様子を写したもの
こちらも「New Lemurian mine」
どちらも「ニューレムリアンマイン」ですが
このふたつは別の鉱山です
古いパノラマ写真は
この地の水晶がまだレムリアンの名を冠する以前の
ジョアキンフェリーシオのオリジナル鉱山で
1987年に撮られたものです
追記:レムリアンの新しい旅
2020年からパーソナルマイニングにより
採掘されている鉱床の写真を現地からもらいました
ジョアキンフェリーシオ近郊
Capao do Boi / カパン・ド・ボイという
地図には載っていない
現地でそう呼ばれているとある地点
現在、Blancaに新しく仲間入りしている
レムリアンシードクリスタルは
その場所から掘りだされたクリスタルです
上の「追記」に書かせていただいた
新しくお目見えしたレムリアンシードクリスタルを
これからのレムリアンとの出逢いのカタチとして
「ニュージャーニー」と名付けました
その経緯について、少しご紹介させていただきます
Blancaとレムリアンシードクリスタルの出逢いも
新しい局面を迎えました
これまで書いた「レムリアンの歴史」で
これからのレムリアンシードクリスタルは
パーソナルマイニングで採掘されたほんの少量を
世界中で分け合う形になる…そう書きました
オフィシャル鉱山がフル稼働し
たくさんの仲買人により世の中に行き渡り
求めれば誰もが手に出来る
そんな夢のような出来事はこれからもないでしょう
この3年、たくさんのサプライヤーにお声がけし
セラドカブラルの鉱床から産出する
レムリアンシードクリスタルを追いかけてきましたが
求めたからと得られるものではないことを
今更ながらただただ痛感
とはいえ、求め続けて偶然を待つ
それ以外に出逢う方法はありません
昨年の晩夏に仲間入りしたスモーキーレムリアンは
そんなわたしたちへのご褒美のようなもの
今後はさすがに難しいだろうと考えていました
まさかのまさかです
2018年に出逢ったレムリアンたちの旅立ちが続き
ちょっと焦りだした2019年の中ごろ
そこからずっとお願いしていた
サンパウロのサプライヤーのたゆまない努力により
7キロのレムリアンがBlancaに届けられました
ほんの数日前のお話です
求めに応えてもらえた
そして、そんな奇跡に大喜びした次の日の朝のことです
JiJiさんの携帯電話に入電
「30キロのレムリアンがコリントに持ち込まれたよ」
「どうする?」
え?です
今回、探してきてもらったレムリアンと
前回のロットから改めて選んできてもらった
スモーキーレムリアンが合わせて8キロ
ここから更に30キロ?
Blancaは小さいお店です
30キロのレムリアンは分不相応といえます
わたしはクリスタルヒーラーですが
同時に社長でもありますから、正直なところ悩みました
とはいえこんな奇跡はそうそうないことも知っています
暫時天を仰ぎ空の声を聴く
レムリアンがBlancaに来たがっている?
余計な考えを脇に置き、流れに身を任せ
お迎えすることに決めました
直に手に取ってみることは叶いませんが
それも新しいカタチへの挑戦なのかもしれません
空はつながっています
そんな新しい旅立ち
2021年最初のレムリアンシードクリスタル
わたしたちは架け橋として選ばれたのだと想っています
新しいレムリアンたちの旅の終着駅である皆さまの元へ
流れのまま無事お届けできることを願い
tamaki
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